享保17~18年(1732~1733年)の両年にわたり、「享保の大飢饉」がありました。春から続いた大雨・洪水に加え、害虫の大発生で作物は全滅状態となり黒田藩でも人口36万のうち、約3割の人々が餓死したそうです。
農村部から福博地区に流れてきた行き倒れた人々も多く、その遺骸の埋葬地に石を置き、後に地蔵を建てて亡くなった方々を弔ったのがこの飢人地蔵尊のお祭りの起こりだと伝えられています。
8月23日・24日の両日、施餓鬼供養が盛大に行われ、幻住庵をはじめ8名の僧侶によって参詣施餓鬼会の回向が執り行われます。僧侶の方々はお堂の中を回りながら読経され、子供や一般の信仰者へのご加護を祈願されます。
この西門飢人地蔵堂の場所は、現在、隣接する千代町に属していますが、お祀りは旧西門町と中小路の両町が受け継ぎ、施餓鬼供養が続けられてきました。地蔵尊の霊験あらたかなことと、願いがかなうということから、参拝者の報じるお灯明の火と線香の煙は絶えることがないようです。


