当日は山笠関係の若者たちが準備と運営を担当、午後七時より正定寺のご住職が読経を始められます。地域の少子化に伴い、参加される住民の方々が少なくなってきているそうです。
山門付近やお地蔵様の前には提灯が下げられたり置かれたりし、また境内の通路に沿って千灯明が配置され雰囲気を盛り上げています。
この祭りの主体はお地蔵様ですが、どういう由来のお地蔵様なのか記録や資料が残されておらず、現在ではわからないそうです。
毛利三兄弟の一人・小早川氏の居城だった名島城を黒田氏が引き継いで解体、移動させた折、書院はこの正定寺に移されました。この書院は実は切腹の間で、その柱は血が飛んでもシミが付かないよう黒く塗ってあり、すぐふき取れるように皮付きだったそうです。
また、赤字で「へ丁八」と彫り込んだ横型の奇妙な大きな石は、博多どんたくの創始者といわれる名物男、魚問屋「西浜屋」の西頭徳蔵の墓で、「へ丁八」は有名な仙涯和尚から名付けられたそうです。