How is that old place now?

万四郎神社前

Information
撮影場所
福岡市博多区下呉服町1-28
地図で見る
撮影場所はこちら

写真を見てみると、この一枚は何やら博多松囃子の衣装を纏い楽しむ子どもたち、その笑顔が織り成す伝統の瞬間。
さて、現在のこの場所は・・・

御供所地区は博多松囃子において2年毎に稚児舞を奉納していますが、今回の写真は博多松囃子の写真をご紹介。

写真は昭和59年頃に撮影された一枚なので、今までの写真と違いカラーになっています。

撮影場所は御供所地区からは少し外れますが、下呉服町にある万四郎神社の前です。
稚児流の子ども達が、博多松囃子の衣装で写っており、楽しそうですね。

この万四郎神社、黒田藩の御用商人・伊藤小左衛門とその一族が奉られている神社です。
この伊藤小左衛門、「大阪では鴻池、博多では伊藤」と並び称せられた大富豪だったのですが、
1667(寛文7)年、黒田藩から国禁となっていた朝鮮への武器輸出が発覚し咎められ、家族、親族、番頭、手代、更には平戸や長崎などの一族郎党すべて捕らえられ、斬首や磔の刑に処せられたのです。
その中には、小左衛門の子供、5歳の三男・小四郎、四男・萬之助も入っており、それをを不憫に思った博多の人たちが祭ったのが始まりで、現在は商売繁盛、子供の息災の神として手厚く祀られています。なお、小左衛門の墓は御供所町の妙楽寺にあります。
(最近の研究では藩主の庇護が厚かった伊藤家への配慮により、小四郎と萬之助は他家に養子に出され、小左衛門の妻は下女とされた事が分かったそうですよ)

R0010198.JPG

この伊藤小左衛門の悲しいお話は、近松門左衛門の「博多小女郎浪枕(はかたこじょろうなみまくら)」として、今も語り継がれています。

ちなみに、この万四郎神社は博多祇園山笠ともちょっとした係わりが。
万四郎神社の境内には東流の倉庫があり、また昭和36年からスタートした集団山見せのスタート地点がこの万四郎神社前からでした。

まだまだある昔の御供所、今の御供所

福岡県福岡市博多区上呉服町10丁目付近

「ふじ松」~「大島眼科」前

福岡県福岡市博多区上呉服町10-22

呉服町通りと明治通りが交わる交差点前

福岡市博多区上呉服町10-10

呉服町ビジネスセンタービル横

福岡市博多区上呉服町11-8

大島眼科前

福岡市博多区上呉服町11丁目

上呉服町から明治通りに出る交差点辺り

福岡市博多区上呉服町10丁目付近

呉服町の上り坂

福岡市博多区上呉服町10-10 バス停「呉服町」

バス停「呉服町」

櫛田神社境内(清道)

櫛田神社での櫛田入り

福岡県福岡市博多区上呉服町10-22

「スパゲッチパブ みその」前

福岡市博多区上呉服町10丁目付近

上呉服町10丁目辺りから大島眼科を臨む

福岡市博多区下呉服町1-28

万四郎神社前

昭和通り(綱場町付近)

綱場町辺りの昭和通り

福岡県福岡市博多区上呉服町11丁目付近

コアマンション「ルネス呉服町」前

福岡市博多区中呉服町3丁目10(勝冶呉服町ビル前から昭和通りを望む)

蔵本交差点から昭和通りを望む

博多区綱場町と博多区奈良屋町の中間(蔵本交差点中央分離帯)

蔵本交差点

福岡市博多区中呉服町2丁目辺り

中呉服町(官内通り)

福岡市博多区上呉服町10-10 呉服町ビジネスセンタービル11F

呉服町ビジネスセンタービル最上階

上呉服町10-10 呉服町ビジネスセンタービル前

上呉服町・大丸百貨店(現ビジネスセンタービル)前

博多区中呉服町1-22(吉田善平商店横辺り)

吉田善平商店付近の交差点